自転車世界一周の旅日記(その32)アジア横断終着点~カルカッタ到着
「カルカッタまであと35km」という標識を最後に、カルカッタを示す標識が見えなくなった。交通量が激的に増え、どの道が主要道路なのか、町の中心はどっちなのか全然わからない。それでも、野生のカンを頼りに進んでいく。ふと、ホテルの看板がたくさん見えるエリアに出た。もうすでに夕暮れが迫っていたので、このあたりに宿をとり、カルカッタは明日にお預けすることにした。
ホテルのフロントで「カルカッタまであと何kmくらいか?」と聞いたら、「ここがカルカッタだ」と言われた。おお、なんてあっけないゴール。そうか、カルカッタに着いたのか。とりあえず、ビールを買いに行き、一人で乾杯。
翌日、バックパッカーがよく集まるというサダルストリートに向かい、ドミトリーの安宿に引っ越した。インドのドミトリーは学校の教室みたいな広い部屋にベッドが20個くらい並べてあり、まるで合宿所みたいだった。ずっと一人で旅を続けてると、こういう宿もなんかほっとするものがあった。
カルカッタには一週間ほど滞在した。朝、教会の鐘がリンゴ―ンリンゴーンと鳴ったと思ったら、その音を掻き消すようにイスラム教のモスクから「アッラー~~~アクバル!」とアザーンが鳴り響く。外ではヒンドゥーの神様の牛が「モォ~」と悠々と歩いている。世界中のバックパッカーが眠る早朝のホテルの部屋には、まことにインドらしい、世界中がすべてが交じり合ったような音が窓から聞こえてきた。ベッドから体を起こすと、そんなインドの音を聞きながら、ベッドの上で瞑想してるのかヨガをしてるのか、両手を合わせて目を閉じている白人の女の子がいた。自分も同じように手を合わせて目を閉じてみると、非常に気持ちがよかった。アジア横断自転車の旅はここで終わった。
サダルストリートには旅行会社もたくさんあった。日本までの飛行機のチケットを買いに行く。当時はまだネットで安いチケットを探すなんてことはできなかった。ひたすら、旅行会社に足を運び、一軒一軒、安いチケットを探す。このあたりの旅行会社はまだ電子化しておらず、手書きの電話帳みたいなぶ厚いノートをめくりつつ、チケットを探してくれる。「シンガポール航空でいいのがあるぞよ。往復オープンチケットだがどうか?」というのを聞き、即買いした。しかもシンガポールや台北で途中降機可能。憧れの海外発、日本の往復オープンチケット。とりあえず、日本に帰って自転車を置いてこよう。そして休憩してまた戻ってきて、今度は身軽なバックパッカーとしてアジアの旅に出てみよう。東南アジアは列車の旅がしてみたい。シンガポールからバンコクまでの長距離列車とかに乗ってみたかった。
カルカッタはゴールのはずだったのに、まだまだ旅の生活は終わりそうになかった。