自転車世界一周の旅日記(その29)旅人たちの交差点
インダス川を越えると砂漠的な風景から緑あふれる大地になった。道端にお地蔵さんがあった。お地蔵さん!もう仏教の世界まで来たのだ。でもその顔はちょっと違う。ギリシャ文化とアジア文化の中間のような。ガンダーラ美術というそうだ。昔、ゴダイゴが「ガンダーラ」という歌を歌っていた。あればこの辺りのことだったのか。そんなにユートピアには見えないが・・・。それはともかく。またひとつ、アジアになった。
パキスタンのラワールピンディー(通称ピンディー)という町には旅人のたまり場的な宿があった。この町はイスタンブールのように旅人たちの交差点だった。ペシャワールからアフガニスタンへ向かう道、僕が来たバルチスタン、クエッタから来る道、インドからやってくる道、そして中国へと続くカラコルムハイウェイの起点のような町でもあった。
宿には世界一周仕様の自転車も何台か止まっていた。旅行者の多くはカラコルムハイウェイを目指すらしい。パミール高原のクンジュラブ峠を越えてウイグル自治区カシュガルを目指すルートはチャリダーにとって憧れのルートだと初めて知った。途中にはフンザという谷もあり、「風の谷のナウシカ」のモデルになった場所とも言われ、まるで桃源郷のような世界らしく、日本人旅行者も長期滞在しているそうだ。
インドに行くか、中国に行くか、迷った。中国には行ったことがあるが、インドはまだ行ったことがなかった。やっぱり、まずはインドという世界を見ておきたかった。
さて、インドに行くにはビザが必要だ。ピンディーからバスで30分ほどの首都・イスラマバードにあるインド大使館に通う日々が始まった。イスラマバードは首都機能だけの町で安宿がなかったので、旅行者はまるで通勤するように毎日ピンディーからイスラマバードに通う。なぜ毎日か?窓口では「ビザは明日、できる」「たぶん明日、できる」「今日は本土の事務所が休みだ」「システムがダウンしたので、たぶん明日できる」というようなやり取りが繰り返されるので、ビザが欲しかったら毎日通うしかない。仲が良くない国のビザを取るのはそこそこ大変だった。そんなわけで、ピンディーには10日間ほど滞在することになった。
後年、やっぱりカラコルムハイウェイからウイグルに行っておけば良かったと後悔する。その後、ラワールピンディーを起点とする旅行者のあらゆる方面の道は閉ざされた。この3カ月後にあの9.11事件が発生し、僕の走ってきたルートも行きたかったルートも自由に旅行することができなくなった。20年が過ぎ、カラコルムハイウェイなど一部旅行できるようになった地域もある。でも、ウイグル自治区の町はこの後、急速に中華化され、当時の姿をもはや見ることはできない。
パキスタンの田舎町で、この旅で2回目の誕生日を迎えた。ビールもワインも飲めず、マンゴージュースで乾杯した。