可部線廃線跡ツーリング(その2)記念すべき20,000kmモニュメント

可部線廃線跡ツーリング(その2)記念すべき20,000kmモニュメント

可部線廃線跡ツーリング、後編です。加計駅を出発し、太田川沿いに下っていくとゲートボール場が・・・(笑)ここが香草駅跡。地元の方々のコミュニティ広場として活用されています。ちゃんと駅名版を残しているところが、なんだかチャーミング(^^♪

そして津浪駅。国道191号線沿い、今でも「道の駅」のようなドライブインとして親しまれています。かつてレールが敷かれてあった場所には線路のペイントが描かれてるのが、これまた可愛い(^^)

「井仁の棚田」へ向かう橋を渡ったところに残るのは田之尻駅。ホームと待合室がそのまま残ります。待合室には当時の時刻表もまだそのまま掲示されていて、当時の様子が偲ばれます。

廃線跡は駅だけではありません。鉄橋やトンネル、路盤など、様々。安全上、鉄橋やトンネルはほぼ全て立ち入り禁止になってますが、鉄橋の廃墟を眺めながら目を閉じると、当時、キハが走っていた風景が瞼の裏に蘇ってくる気がします。

そして可部線には歴史的なモニュメントがあります。1872年(明治5年)に新橋~横浜間を開業して以来、国鉄の総延長がちょうどここで20,000kmに達成したそうです。ときに昭和29年(1954年)。その昔、「いい旅チャレンジ20000km」という国鉄乗りつぶしキャンペーンがありましたが、その記念すべき20000km地点はこんな場所にあったのです。

その20,000km記念碑のすぐそばにあったはずの坪野駅。残念ながら、駅があったことを示すものは何もなく、「おそらくここが駅だったんだろな」と想定される広場。

そして「花の駅安野」。キハ58が保存されています。今も様々な花が咲く公園として、親しまれ、休日には多くのサイクリストや家族連れで賑わっている市民公園。

ゲートボール場になった駅、お土産屋として今も道の駅のように活用されている駅、公園になった駅、そして跡形もなくなった駅・・・廃線跡の駅が辿る運命はそれぞれですが、地域のコミュニティの場として残っている風景を見ると、なんだかほっこりします。

可部線廃線跡巡りツーリング、次回へつづきます。